部屋にある本棚

泳ぐのに安全でも適切でもありません/

2013年01月30日

泳ぐのに、安全でも適切でもありません曖昧、について考える。
ともすれば、だらしなさにうつるその加減を、
江國さんという作家はうまい具合に曖昧なままにしておける。
私はといえば、どんなものごとにも、境界線や名称や形を把握していないと落ち着かない方だ。
そのせいなのか、江國さんの本を読むたび、何かを探してしまうのだ。
何か。実体、のようなもの。輪郭、のようなもの。

この本のちいさく切り取られた10の物語は、
安全でも適切でもない場所で泳ぎ、
「でも無傷でした」という話では、やはり、ない。

もしも、進む先にある立て札が「遊泳禁止」だったら、話はもっと早いだろう。
窮屈なかわりに、楽になることもあるのではないかと思うときがあるから。
選ばなくていいのだから、迷わなくてもいいのだ。

しかし現実の、さまざまなやり方を自身に委ねられる大人の自由さ。
受け止めるのは、すべて自分だ。
思えば、なんと無謀なことだろう。

とりわけ印象に残ったのは『動物園』。
小雨の降る動物園で、ちいさな息子をつれた「私」がかつて夫だった男と会う話。
灰色の空とつめたい空気のなか、
もう明確な家族とはいえない三人の立ち位置に、
ただの男と女である自由に、所在のない淋しさを感じた。

潔く生きたい。そう進んでいけることにこしたことはない、
と今でも私は思う。
だが、主人公言うところの「人は誰だってどういうふうにかしてやっていかなければならないのではないか」にも一理あると思うのだ。
人からは不格好に見える泳ぎ方でも、他の誰の人生にも起こらない瞬間がある。
それらを静かに肯定しているような作者の愛情にも、
確かにどこかで共感しているのだ。