部屋にある本棚

プラナリア/

2013年01月30日

プラナリア何者でもない自分というものを、一度くらいは思い描いたことはないだろうか。
どこにも属さず、時間に縛られず、必ず行かなければならない場所もない。

『プラナリア』は、「無職の女性」を5つの形で描いた短編集である。
女性が社会に出て働くことは、もはや自然なことである現代ならではのテーマだろう。
その<一般的>となった日常からさまざまな理由で抜け落ちた─あるいは、はじめからそこに属さない─葛藤やあきらめ、焦燥感。

表題作は、主人公の女性の「生まれ変わったらなりたいもの」だ。
プラナリアは、切っても切っても再生する生物。
乳がんの手術を受け、その後の治療の辛さや喪失感が続く彼女に、
「病気は終わったこと」として社会復帰を促す周りの人々。
彼らの時に無責任な善意に、彼女はこう言うのだ。
「乳がんは、私のアイデンティティでもある」と。

冒頭に「何者でもない自分」と書いたが、本当のところ、
職のあるなしで本質が変わるわけではないだろう。
あくまで、その人はその人そのものだ。

けれど、 たとえば、職業欄に何も書き記すものがなくなったとき、
ただそれだけで、社会とのつながりや、自分をあらわすもののない不安定さ、
何に対してかわからないような罪悪感は、ふとよぎるのではないだろうか。

現状を変えなければならないという思いと、
このままで何が悪いのかという思いとで揺れ動くさまは、
私としては、深くうなづけるものだった。

それにしても、山本文緒さんの描く女性は、女性が読むとかなり痛いのでは、とよく思う。
だが、そのまなざしは厳しいだけではなく、
道の先に光が見える予感を感じさせるあたたかさもちゃんと兼ね備えているのだ。