部屋にある本棚

アルジャーノンに花束を/

2013年01月27日

アルジャーノンに花束を子供のころ、キャンディの掴み取りをした時のことを思い出した。
箱の穴に入れたちいさな手のひらに、ありったけのキャンディを掴んで。
箱から取り出そうとしても、結局てのひらの大きさ以上の数を得ることはできず、
にぎりしめた手のはしから、ぽろぽろとこぼれ落ちたキャンディのことを。

パン屋で働く精神停滞のチャーリィ・ゴードン。彼を天才にする実験が行われる。
「頭がよくなればみんなぼくを好きになってくれるから」
IQ180の彼が見た世界、吸収し得た知識という資産と同時に、失ってゆくもの。
この壮大なフィクションのなかで感じたものは、切実な現実感だった。

自分より劣っていると思うものに対しての優越感、傲慢さ。
優れているものに対して持つ畏怖や嫉妬。
そしてそういった感情から見える人間の弱さ、愚かさ、真実。

得ながら失ってゆくさま。失いながら得てゆくさまを、
小尾芙佐さんの見事な日本語訳でありありと感じ取ることができる。
考えたのはこの物語の前と後では、いったいどちらがしあわせなんだろう、ということ。
その答えは私にはわからない。

一方で、知能という、人を判断する目盛りに空しさを覚え、
自分の「すべて」を見ていくチャーリィに言いようのない悲しさを感じた。

捉え方はさまざまなのだろうけれど、それでも、私は最終ページで救われたような気がする。
最後の2行で感じたそれは、私の持つ傲慢さからなのかもしれないけど。

いくつもの言語で様々な国で出版され、今更紹介するまでもないベストセラーです。

目で見るものと心で見るもの/

2013年01月27日

目で見るものと心で見るもの便利さっていうのはいったい何者なんだろう?
本来、そこに足りないものを補うといった形で「便利」というのは存在するように思えるけれど、今はそれを上回ったところに「より便利に」という、必要からの渇望ではないありかたの方が多いのではないだろうか。

とはいえ、私は便利なもの、楽できるものというのは好きだったりするし、
目新しいものが出るとひとまず情報収集してしまうタチだから、
「それはおかしい」などと力説するつもりはない。

便利になり、それまで費やしていた時間がぽっかり空いてゆとりができるのなら、
きっと「何者なんだろう」なんて思わないのかもしれない。

でも実際はそこにゆとりができるわけではなく、時間はさらに加速していく錯覚に陥る。
時々「どこまで行くんだろう」と思えてしまう。

昔、学校行事でキャンプがあって、飯盒炊きしたり、オイルランプで火を灯したり、
手間ひまかけて不便を体験した時、そこに非日常を感じどきどきして楽しかった思い出がある。
雷で停電になり、蒸し暑さのなかで灯すロウソクと音の悪いラジオ。
でも、それがずっと続いたのでは楽しいことではなくなるのだろう。

今、不便さが非日常のできごとだとしたら、なかった時代にとっては進歩すること、
便利になることが日常からの逸脱だったのかもしれない。
非日常を求めて?

目で見える便利さによって得るものもあれば、ないことによって得るものもあるのでしょう。
見えるものと見えないもの。
他、興味のある項目もあれば、そうでもない項目もありました。

恋して進化論/

2013年01月27日

恋して進化論最近(といっても以前からだけど)とみに遺伝や遺伝子といった言葉を耳にするようになり、無知なりにそれについて私も漠然と考えるようになった。
DNAは、GATCという4つの塩基のうち3つずつの配列が、膨大に続いている鎖である……というようなことを聞いていると目眩がしてくるような私にも、
ヒトを含めた地球上の生物のオスとメスという二つしかない性の成り立ちについて、
そして進化する過程のそれぞれのドラマがかなりわかりやすく、
そして冷静に書かれていた。

おもしろおかしく書いたものや、感情論が先に立っているような情報などとは違って、
膨大な文献や現場の研究者、医療関係者の生の声を背景に正確さを伝えようとしているなぁと、
とても好感が持てた。

なかでも「遺伝子治療にあたる医師との対話」という項目での、
「遺伝子診断を必要としているのは、ある意味ではもっともその病気に近いところにいる人たちなのである」という文章が印象に残った。
自然な行為ではないから、とか、遺伝子をいじるなど恐ろしい世の中だ、といった意見も聞くが私はどうもそんな風に思えないのだ。
少なくとも解明されることによって生まれる治療法の可能性を思うと、考えてしまう。

知ることのできる情報ならば、私も知ろうとするかもしれない。
そして、それを選びとる権利もまたあるのではないかと。
共感し、一気に読めてしまった良い本でした。