部屋にある本棚

いくつもの週末/

2013年01月26日

いくつもの週末いつも恋をしているような女のひと。
江國さんの小説なりエッセイを読むにつけ、そんな印象が私のなかで定着していく。
そのせいか、時おり文章のなかで見かける
「夫」という文字にいちいちドキッとしてしまう。
そうだ、この人は結婚しているんだっけ。

これは、そんな著者が結婚生活について綴ったエッセイ。
ひとつひとつのお話が短編小説のような色合いを持ち、
彼女特有の上質で穏やかな文章が心地よい。

結婚生活について語られたエッセイを読むと、多少の問題はそれぞれあるとしても、
その毎日が続く-少なくとも今日と同じ明日くらいは疑いもなくあるということを、
こちら側に錯覚させる(あるいは、させてくれる)ものが多いように私は思う。
だから、余計なことは考えず安心して読める。
だけど、この人の書くものは、とてもとても危うい。

ティーカップのふちを爪先で歩いているみたいに。
しかも、危ういということについて確信的でいる。

他人と生活するある種のわずらわしさはある上で、シンプルに「一緒にいたい」という気持ちで<そこにいる>からだろうか。
形のないもので結びついていること。
そこには、つねに流動的である可能性を秘めているはずだから。

永遠という幻想に甘んじない、永遠ではないものをきちんと愛おしんでいる強さにとても共感した。

「私は、誓いの言葉にある「死が二人を分かつまで」の愛なり生活なりというものは、あくまで結果だと思っている。少なくとも目的ではないと信じていて、そこは刹那的でいたい。いつもちゃんとその都度決めたいのだ。」 (本書『RELISH』 P160から抜粋)

冷静と情熱のあいだ―Blu/

2013年01月26日

冷静と情熱のあいだ―Blu<人はみな、未来を向いて歩いていかなければならないのだろうか>

絵画の修復士を目指し、イタリア・フィレンツェに生きる主人公順正。
長い年月を経て、傷つき、損なわれた過去の芸術品を、未来に届ける尊い役割。
その仕事に情熱を傾ける彼自身、修復できないままの過去に囚われている。

どれだけ年を重ねても、どれだけの出会いを経ても、忘れられない人がいる。
さまざまな記憶がぽろぽろとこぼれ落ちてしまう日常のなかで、なんだか歩いてきた道に落としてゆく目印みたいだ。
それが、未練でも、執着でも、幻想であっても。

無邪気で奔放な恋人芽美、 母親のように慕う先生、絵画に理解のある祖父。
さまざまな人とのかかわりと、過去に愛した女性あおいとの思い出を行き来しながら、
自分の居場所を探す順正の物語は、それでもどこか穏やかさがあり、文章もすんなりと読みやすい。

また、「修復士」という普段あまり耳にしない仕事に触れていることで、興味深くもあった。

過去に囚われすぎず、未来に夢を見すぎない。
そして、未来に期待するだけではなく、今を響かせなければだめなんだ。といった順正の意志が爽やかで、
あおいの物語を救いあげてくれるような、本当に「二冊でひとつ」を感じる作品になっています。

冷静と情熱のあいだ─Rosso/

2013年01月26日

冷静と情熱のあいだ―Rosso<どんな恋も、一人の持ち分は1/2である>

「これは半分の物語です」と作者の言う通り、この本はひとつの恋愛を女性の側の視点で綴ったもの。

ふと、物語とはまったく関係ないところで、この「半分」を意識してみる。
たとえば、自分と同じ時を、同じ思い出を共有している人がいる。その相手には、それらがみな少し違ったふうに見えているんだろうか。

今も過去もその人のカタチで心に残されてゆく。
その当たり前な不思議さが愛しくなる。
自分以外の人を愛する日々は、そうやって辿る年月も二人分で成り立っていくように思えるのだ。
それが、この「二人の作家がひとつの恋愛を書く」という試みの面白さであり、また真実のひとつであるのではないだろうか。

優しく完璧な恋人と暮らすあおいの穏やかな生活。
しかし、かつて愛した人順正への想いを消すことができないことで、彼女の満たされているはずの毎日はゆるゆると、どこか透明である。

よく男性の方が過去を引きずるものと言うけれど、むしろそうやって未練を隠さない順正と対照的に、
あおいは過去に蓋をしている感じ。
だから、未来も今さえも「生きて」はいない。そんなはがゆさがある。
自分の気持ちに正直になった時、気づく情熱の存在…。

全体的に平坦な印象の分、その辺の変化が際立っているように思えましたが、
こちらを映画にするのは難しいかもしれませんね。