部屋にある本棚

泣かない子供/

2013年01月26日

泣かない子供小説の世界をそのまま映し出したような江國香織さんのエッセイ。
江國さん独特の、ひとつひとつ端正に選び取られたような美しい文章の中で息づく、
結婚してもなお(という表現は変かもしれないけれど)どこか不安定で、
危うい少女のままの部分。
その柔らかなまなざしは、痛々しくもあり、同時に頼もしくも思えます。

静かなもの、夜の散歩、お茶を飲む時間、本。
江國さんが好きだと随所に書かれるものたちが、
自分のそれと似ているせいもあるのでしょうか。

周りの常識や理屈ではなく、こだわりに対して一貫して持ちつづける、
自身の五感で感じるものへの信頼に、嬉しいような共感を覚えました。

私が好きだと思ったのは、『ラルフへ』。日本語の不倫という言葉自体が持ついやなニュアンスを、
外国人の友人にうまく伝えられないところから始まるこのお話。

人を好きになるというシンプルで純粋な気持ちに、理由や名前や正しさなど意味がないのではないか、としながらも、最後にこう書かれていたのが印象的でした。

本人にとってそれは悪いことでもかなしいことでもないのだけれど、理屈のバリアを外してふと外側から眺めたら、わけもわからず一ぺんに涙にくれてしまうみたいな場所に、それはやっぱりあるんじゃないかって。
(本書『ラルフへ』より引用)

こうばしい日々/

2013年01月26日

こうばしい日々思えば、江國香織さんの名前を初めて目にしたのは、
毎日新聞社主催の『小さな童話大賞』での受賞者欄だった。
今や若い女性に圧倒的な人気がある小説家だけれど、
児童文学から出発した人だというのはあまり知られていないのかもしれない。

初めての童話集『つめたいよるに』に収録されている『デューク』を読んだとき、
私は驚いた。
愛するデュークを損なってしまった女性のせつなくて優しい失恋のお話。

悲しみにうずくまる独特な時間の流れのなか、
デュークの鮮やかな記憶と、吹き抜ける初夏の風のにおい。
私が驚いたのは、童話だというのにとてもセクシーだったから。

そして、この『こうばしい日々』も、児童文学に入るものかもしれない。
『こうばしい日々』『綿菓子』の中編二編からなるこの本。
どちらも十代始めの主人公が描かれいるが、かたやアメリカ育ちの少年の日常、
もうひとつは江國さんらしい柔らかな色彩の少女の恋とトーンはかなり違う。

表面的な「子供の段階」を子供らしく描こうとしない目線も心地よいけれど、
周りをとりまく大人たちの矛盾や、時に滑稽にも思える哀しさを、
批判的にでもじっと見つめている心の動きに、強く共感してしまいます。

特に『綿菓子』では、その甘やかな雰囲気に反して、
老いや離婚といった現実的な問題も絡んでいるけれど、主人公みのりのおばあさんがとても魅力的。

すいかの匂い/

2013年01月26日

すいかの匂い子供のころは大人だったと思う。

ものごとや関わるものを、そのままの大きさや重さや匂いで感じとれた。
同じものを今の自分が見たとしても、
もう遠いはずの当時の方がよっぽど鮮明に、正しい形で記憶している。

それらを純粋さと呼んで片づけてしまうにはあまりにも惜しい。
自分があいまいになっていくことは、不本意でもあり、ちょっとばかりせつないのだ。

そういう意味で、江國香織さんという作家は大人だと思う。
同世代でありながら、今もなお、とても正確に誠実にものごとを見ているまなざし。

もちろん、文章の力というものも大きいのだろうけれど、
こだわるほどに過剰に本質から遠のくのも文章だと思うから。

夏の記憶は濃く鮮やかだ。
肌の表面をじりじりさせる日差しだとか、耳の穴の形に埋まってしまったようなセミの鳴き声だとか、
プールのカルキの匂い、ビーチサンダルのキュウという音、
かき氷で赤や緑に染まった舌、素足で踏む畳の温度。

たとえばそんな、自分だけ(が持っていると思っている)の記憶の断片すら、
この本を読んでいるとあっという間に、しかも自然によみがえる。

『すいかの匂い』は、11編で綴られた短編集である。
おもに低年齢の少女たちの目線で描いているにもかかわらず、
どのお話も甘さがまるでない上、プリズムを微妙にずらして見たような不思議なまぶしさを感じる。

軽い失望、怠惰、諦めや嘘、迷い、秘密、駆け引き、とりかえしのつかないこと。
知っていくごとに、知らぬまに手放していくものたち。

それらがきめ細かく織り込まれている夏の短い物語。

みごとです。