日だまり椅子

好きなままで長く

歌詞を眺めながら、繰り返しアルバムを聴くということが久しくなかったのだけれど、
Mr.Childrenの『HOME』を今そんなふうに聴いている。

気づけば、彼らの歌を聴くようになって14年あまりたってしまった。
危うくて尖ったメッセージソングもストレートで優しいラブソングも好きだけれど、
私のなかで、アルバムとしては『Atomic Heart』を抜いて、一番好きと言えるものかもしれない。
こんな時は、聴き続けて良かったと思う。

ありふれた日常と、意識していなかった大切なものについて歌っている。
なんとなく初期の頃に戻ったようでいて、大きく変わっている。

それにしても、変化しつつ、何かひとつのものごとを貫く難しさと尊さみたいなものを感じてしまう。
私は、何でも続けることだけに意味があるとは考えていないのだけれど──
思い切ってやめてみること、違うドアを叩いてみることにも大いに意味があると思うから。

でも、好きなものや「これ!」と感じたものにずっと関わっていく、
たずさわっていけることはやっぱり幸せなことだと思わずにいられない。

それが仕事であるならばもちろん素晴らしいけれど、
その道のプロでなくたっていい。ちいさな「好き」だっていい。
時々嫌いになってみたり、気持ちが離れたり、また好きになったりしながらも。

そう、たとえば私なら──
60歳くらいになっても、村上春樹の小説を読んでいて(そのためにも春樹さんには長生きしてほしい)、
音楽を聴いて「感動した~」とこんなふうに騒いでいたり、
ノートのはしっこでもいいから文章を綴っていたりするといい。

そして、できるだけ長く「作る」仕事に関わっていられたら、などと思いを馳せつつ。
自由さは、身体と心が反比例していられるといい。

~写された幻影、描かれた現実~ゲルハルト・リヒターATLAS展

美術館入口千葉県佐倉市にある川村記念美術館
ここで、ドイツを代表する画家、G.リヒターのATLAS展が開催されました。
日本で初めての本格的な個展だそう。

わりと近くにあるというのに一度も訪れたことがなかったこの美術館。たっぷりとした自然に囲まれた素敵な場所でしたので、一緒にご紹介を。

今回の美術展の核である《ATRAS》は、約4500枚もの膨大な写真やコラージュ、スケッチなどを、655枚のパネルで壁一面に展示されたもの。ATRASは、その名の通り「世界地図」を意味する。リヒターが40年近くに渡り制作を続け、いまなお進行中のそれ自体がライフワークとも言うべき巨大なひとつの作品。

…と、ここまでは資料から。始めに登場する『ドゥインガーの肖像』。
「ピンぼけの写真?」と思いきや、近づいてみると油絵であるのがわかる。なんとも不思議。
手ぶれやピンぼけの写真をカンヴァスに拡大模写する独特な写実表現やカラーチャートを思わせるパネルの作品。それら絵画10点も織り混ざる。
几帳面にすら思えるほどきちっと埋め尽くされた壁。
全体に距離を置き眺めてみても圧倒されそう。

家族のスナップ写真、おおらかなヨーロッパの風景、刻々と移りゆく空のようす、
幾重にも捉えた静物、アウシュビッツ収容所の死体、
写真→絵画→写真の行程をふまれた偉人たちのポートレート、
さまざまな色の連なり、うねり、ノイズ、新聞の切り抜き、展示案のスケッチ…。

現実の断片で構成されたその克明な世界は、激しく熱を持つメッセージだとか、
逆に優しげなもので心を引くということもなく、あまりに自然ゆえのクールさを感じる。

写真が今を記していくものだとしたら、
私がここで見ている世界も確かにかつてあった「今」のはず。
なのに、こんなにも危うく感じるのは何故なのか。

肖像画といえば、同館内にコレクションとして展示されている
レンブラントの見事な絵があったけれど、
私にはぼやけて抽象化されたリヒターのポートレートの方が胸に残った。

地図に導かれているのか、それとも迷い込んでしまったのか刺激的な美術展でした。

MackintoshとMacintosh

前々から椅子の美術館なるものに憧れていた私。
先日NHKで放送されていた『マッキントッシュとグラスゴー・スタイル展』の模様は、長いこと頭の中で「言葉では説明できないけれど、こんな感じの…」と想いを馳せていた光景ととても近かったので、目を奪われてしまいました。(参考にイラストで描いてみました)

シンプルでモダンな色彩の空間に、直線的で独特な椅子が並ぶ。建築家として、また装飾美術家として知られるチャールズ・レニー・マッキントッシュ。その分野に疎い私は、彼の名前や椅子を始めとする建物や装飾を「ちょっと見たことがある」程度。

今回、断片とはいえ、マッキントッシュが手がけたグラスゴー美術大学やティールームなどの完ぺきな美しさ(としか言いようがない)を見て、今まで知らなかったことが悔やまれたほどでした。
終わっちゃったのですね、美術展。

椅子の美術館

グリッド模様やシンメトリーのかっちりした印象の外観に反して、曲線を描く柔らかく繊細な装飾。建物にこれほど強く興味を惹かれたのは初めてです。
懐かしさと同時に現代に見ても不思議と今を感じる建物。マッキントッシュが活躍した時代に彼のデザインの特異性はどんな風に映ったのでしょう。

建築に関して、私は難しいことはわかりませんが、純粋に綺麗だなと人の気持ちをとめることができる。そんな「もの」を創る人に憧れます。

私の好きなミュシャの絵が、場所になったようなティールームで、
ひとときお茶を飲んでみたいものです。

モーツァルトの穴

映画「アマデウス」を見ました。
ここで今更この有名な映画について、私などが評を書く気持ちはないのですが、こういう天才と呼ばれる人たちを題材にした作品を見るたびに思うことがあるのです。
才能があるというのは幸福なことであるのだろうか、と。

生まれながらにして備わった才能。神に祝福されているかのように。
サリエリは、モーツァルトの才能を認めた上で嫉妬し、神のその不公平さを憎んでいました。確かになぜ自分には「それ」がないのか、と理不尽な気持ちになることはあるし、ないよりはあった方が様々な幸福を手にする道しるべにもなることでしょう。

でも、生きやすいかどうかとなると、どうも手放しで無邪気に憧れることはできません。
私は、秀でた才能というのは、その人の欠落ではないのかと思うことがあります。
沸き上がる泉のようにただ幸福なのではなく、それを埋め続けていかなければならないものとして。

人は、みんなそれぞれその人独特の穴を持っていて、多くはその穴が何者なのかわからず、時々すきま風が吹くみたいにその欠落を、その満たされない感覚を漠然と感じるものだと思うのです。

私がサリエリに不幸を感じるのだとしたら、穴が何者かちゃんとわかっている上でそれを埋める術も持ち、けれど自分を満たすことができないこと全てを自覚しているところでしょうか。
すきま風どころじゃない。自分すら憎んでしまうことでしょう。
けれど、モーツァルトのただひたすら埋めていくそれと、サリエリのそれと、どれだけの差があるというのでしょう。

埋まるはずのもの。埋めなければ満たされないもの。
それが何なのか考えてみたりする今も悪くないかな、なんて凡人の私は思ったりするのですが。(もしかしたら穴すらないかもしれないけど)

映画の方は、モーツァルトがサリエリに言った「嫌われているかと思ってた」という言葉が悲しかったです。

S.キング小説の映像化

久しぶりにスティーブン・キングが原作の映画『グリーンマイル』を見てきた。
6巻まである小説のうち、最終巻を残しての鑑賞。
前評判通り面白かったし、何よりキャスティングが良かったように思う。
トム・ハンクスはもちろん、私は特に、ブルータス役のデヴィッド・モース、
そしてジョン・コーフィ役のマイケル・クラーク・ダンカンが良かった。

ストーリーは、刑務所の死刑囚房が舞台。
死刑囚が電気椅子にたどり着くまでの緑色のリノリウムの通路、
通称<グリーン・マイル>を巡る出来事を描いている。

私は彼の小説が昔から好きで、その作品をしっかり読んでから映画を見ることもあってか、
実はガッカリすることが多い。
「キング小説の映画化でガッカリ」は、彼の小説を好んで読む方の間では、
周知のことなのかもしれないけれど。

私は映画に詳しくはないけれど、個人的に思うことのひとつとして、
「キング=オカルト」の図式への物足りなさ。
確かにストーリーとしては、霊的なことや超能力などのオカルトが大部分を占める。

その物理的な怖さや、追いつめられ支配される恐怖を、
映画という独立した別の作品として見るのも良いかと思う。

でも、私が最も心魅かれる要素、キングの小説に内包される足下が掬われていくような悲しさ、
ごく平凡なアメリカの中流家庭が崩れていくさま、
あたりまえの日常や、大切に思うものを失っていく怖さまで
表現されることはないのが残念だったりする。

それは、小説の描写の克明さも一因しているのだろうか。
本を読んでいる段階で、場所や光景が、あたかもテレビ映像でも見ているように
「そのまま」脳裏に浮かぶ。
登場人物のなかで、ほんの一場面しか出ない人物さえ、
背負う人生の背景をありありと見せる。

キングのその圧倒的な(時に執拗とも思える)文章は、
もしかしたら映像化する必要などないのかもしれないとも思ってしまうのだ。

とはいえ、『スタンド・バイ・ミー』や『ショーシャンクの空に』は大好きな映画。
これらはオカルトではないからかもしれないし、原作が中編だった分想像の余地があり、
むしろ広がりを感じられたからかもしれないけれど。

とにかく、久しぶりに見られたキングの映画『グリーンマイル』は、
かなり端折った部分はあるにしろ、いろんなテーマを持ち、立ち止まらせ、
考えさせられるいい映画になってました。