「1回休み」の夏として
9月も下旬だというのに夏のような暑さですね。秋までもうひと息。
5月から始まった身体の不調で検査したところ、
バタバタと決まった手術・入院。
苦手な夏は、通院と入院という病院絡みで過ぎていきました。
通算8回目となる手術は、精神的には2番目に辛いもので、
いい歳をして、ずいぶん泣きました。
手術室に向かうストレッチャーの上でも往生際悪く、
でも悲しさと恐怖でどうしようもなく涙がこぼれました。
身体に大きな傷跡が残ったのは、
もはや、ひとつやふたつじゃないんだし、とか
水着を着るわけでもないし、とか
諦め半分、受け入れることはできたのですが、
この先いくつ乗り越えればいいのかな、と途方に暮れました。
* * *
「試練はそれを乗り越えられる人にしか訪れない」
といったような言葉があるけれど
「それはちょっとあんまりだ」と最近は思ってしまいます。
振りかかった試練が辛く苦しくて、生きるのを諦めてしまう人もいる。
それを弱いからとはとても考えられないし、
乗り越えようと生き続けられるのは強いから(乗り越えられるから)とも
違う気がするのです。
その時の自分を取り囲む環境や人や心の状態や、さまざまな要素が作用して
たまたま、なんとか生きられているように思えるのです。
ほんの少し何かが違うだけで、足りないだけで、変わってしまうような。
その境界線は紙一重なのでは、と。
* * *
夏は1回お休み。
また、心から元気に笑えるように
少しずつ毎日を重ねていこうと思っています。
お久しぶりです。
大変な夏だったのですね。
しばらく前、簡単な手術を受けた私でさえ、「麻酔から覚めなかったらどうしよう??」
なんていい年して前日は眠れませんでした。。。。
でも無事、また近況報告ができるまで元気になってくれて嬉しいです。
「試練はそれを乗り越えられる人にしか訪れない」
その言葉は強くて、素晴らしい言葉だとは思いますが、本当なのか・・・と私も思う時があります。
私は盲ろう者、といって目と耳の両方の障害のある方の通訳・介助をたまにやらさせてもらっているのですが、
美しい景色も見れられず、心を癒す音楽もきこえず、家族とさえコミュニケーションがとれなくなった、という辛い状況を目の当たりにして、自分だったらこの人のように笑うことができるだろうか??
と思います。
もちろん、その方もどれだけの想い、時間を乗り越えてきたからこそ笑顔になることができたのでしょうけれど。。。
やはり中にはそのように笑顔になることも出来ない人もいます。
耐えがたい試練を神様が与えるとしたらそれはどういう意味があるのだろう・・・と考えてしまいます。
考えてもなかなか答えがでるものではないのでしょうけれど。
きれいな夕日をみる、それを言葉(指点字)で伝えたくてもこの本当の美しさを伝えることが本当に難しくて・・・・もどかしくて。
自分が目が見え、音が聞こえることに時々激しいくらい感謝を覚えるときがあります。
せめて当たり前のことにも感謝を忘れないようにしよう、と改めて思います。
ゆらさんものんびり、ゆっくり笑顔になれる日がくるとお祈りしています。
寒い日が続くのでお体ご自愛ください。
>みきさん
みきさんもいろいろ大変だったのですね…。
コメントいただけて嬉しかったです。
耐えがたいことが起こった時、
自分の励ましになるように
なにかしらその意味について考えてしまうのですが、
選ばれているわけでもなく、意味があるわけでもなく、
ただ、たまたまそれが自分に起こっただけ、なのだろうな
と考えるようになりました。
もちろん、捉え方は人それぞれで、
どんな言葉であっても、その人の力になるようなら
何も問題などないと思うのですが..。
多くは励まそうとしてくれる人の言葉ではあるので、
その心だけ受け取るようにしようと思っています。
みきさんは、人の辛さを想像し、
そこに寄り添おうとすることのできる心の綺麗な方なんだなぁと
書いてくださった文章を拝見していて思いました。
どうか良いお年をお迎えくださいね^^