日だまり椅子

ささやかでありふれた

久しぶりに本屋さんでゆっくりと時間を過ごした日。
買うことを決めている本を買いに行くのではなく、
あやふやに記憶しているタイトルを手がかりに、
散歩感覚で本棚を見ている時間がとても好きだったりする。

手に取って、装丁を眺めて、ページをめくってみる。
ずいぶん前に気になっていたまま買わずじまいだった本、
特に好きな作家ではなかったのに、ふと読んでみようかという気になる本。
こういうのもまたちいさく偶然な出会いだと思ったりする。

その書店を含むショッピングモールは、贅沢な土地の使い方をした
バリアフリーになっていて、
車椅子ユーザーの私にもとても動きやすい。
今回の主役はその本屋さん。

通路は広く、車椅子が止まっていても通行の妨げにはならないので、
ゆったりと本を選ぶことができる。本棚は一貫して低い。

だから、普通なら届かなくて、しょっちゅう人の手を借りなければならない
上段の棚にも、自分の手が届く。
「棚の高さがない→収納できる書籍数が減る→その分、敷地の広さが要求される」
だろうから、どこでも可能ということではないだろうけれど。

そう。でも、守る過剰な優しさではなく、当たり前のことが何気なくできる、
難しいようで必要なのはただそれだけ。
サポートの方向性としてはすごく嬉しい。

小さな女の子がパタパタ通り過ぎざまに振り返り、私の前で立ち止まる。

「こんにちは」まんまるでまっすぐな瞳。
「どこ行くの?」と女の子。
「帰るの」
「一人で帰れる?」なんだかクラスの委員長さんみたいなてきぱき口調。
「帰れるよー」と答えつつ、その口調がおかしくてつい笑ってしまう。

目線の低さやその他の要素で、子供たちから見た私が、
いわゆる大人の領域にいないことをときどき感じる。
それは、楽しいことでもあり、ちょっと淋しいことでもある。
子供でもなく、大人でもなく、私は私だけど。

誰かにとって見えている自分というのを意識すると、
ふいに困惑してしまうのはなぜなんだろう。

This Post Has 0 Comments

Leave A Reply